昨年、初めて見る金沢で紹介しましたが、最近は益々、残念な感じとなってきました。もちろん、若い時の多感な時期の記憶にある「景色」を見るために行ってみたい・・という想いはあるのですが・・ためらってしまいます。
まず、学生時代過ごした学校は、観光化によって、その片鱗も遺さずに解体され、観光の中心となりました。全ての建造物の一切が、存在しません。つまり、大学が消失したのです。
また、下宿(銭湯の2階)は、いつのまに、「温泉」になって観光スポット的な扱いになりました。私にとって、当時浸かっていたお湯は、温泉ではダメなのです。金沢の地下を流れる歴史的な地下水でなければならないのです。温泉ブームで掘り出された「温泉として認定された水」ではないのです。温泉の愛好者から見れば、私は偏屈なだけですが。
こういった事は、地元の方が選んだ選択であり、そこに住民票がない自分がとやかく言う資格もありません。
ところで、金沢の街は、浅野川と犀川の二つの川に挟まれた台地にあり、その2つの川の「外」に東の郭と西の郭があります。今では、「茶屋」となって、芸者さんの茶屋のようなイメージですが、当時、西の郭はある意味、「現役」でした。扉が少しあいて、中は赤い照明で、おばんさん?が椅子に座って呼び込みをしていた・・・つまり赤線なんでしょうね・・それが普通に存在していました。金沢に最初に住み着いたのは、その近くでしたので、衝撃的でした。衝撃的なもの以外にも、有名な忍者寺や室生犀星の生家がありました。もっとも、詳細は省きますが、自分が最初に居着いた場所も、ある意味、歴史的な所だったのかもしれません。
東の郭は、当時(40年ほど前)から観光地・・・のような感じではありましたが、人通りの少ないひっそりした通りでした。学生下宿もあり、遊びにいった事もありました。郭の所有者が下宿屋を経営していたのです。小部屋というのは下宿屋にもってこい・・だったのかもしれません。私にとっては、「郭のおんな、井上雪著」の流れにある本来の艶ぽい東の郭です。残念ながら、テレビでみる「東の茶屋」は、人通りの多い場所となり、芸という観光を前面に出して、そういった趣は消えてしまったように思います。
もっとも、ロートルが気にする趣は、観光=温泉=グルメの中では、「お金を生まない装置」でもあり、それより、いわゆる「店舗」など観光装置に改造したほうが良いのでしょう。それは、事実、私が金沢に思い入れもなく、観光客として行くには、十分に素敵な場所かもしれません。とはいえ、テレビで見た金沢ですから、積もりに積もった個人的な偏見なのでしょう。
兼六園は昔のままの変わらない景色であると、テレビが言いましたが、それでも管理は厳しくなったのではないでしょうか。昔は24時間入場できたそうで、繁華街の香林坊から近い公園ですから、それなりに洒落た場所ではなかったか・・・と想像していました。当時は既に夜間の入場は出来ませんでしたが、兼六園にはカキツバタが沢山あり、夜明け前(早朝より少し早い)にカキツバタの花が咲く際の音を聞きに行く輩も居たようですが・・・
これは・・観光マップには絶対に記載されないものでしょうね。
長くなりました。また、想い出したら個人的な覚え書きとして。
なお、西の郭は、「にしの茶屋街」として以下の写真の様子らしいです。私の記憶遺産の中には、この景色は存在しないのです。
小さなスナックが2~3店、それが通りにバラバラに配置されており、半開きの扉の前のパイプ椅子におばさん?が団扇を持って、タバコをくわえている・・半開きの扉からは「真っ赤」な照明が通りを染める・・・
そんな私の記憶遺産が無ければ、写真の郭は行ってみたい素敵な場所に思えるのも事実です。写真は「金沢旅物語」から、お借りしました。