ロートルにとっての折口信夫は「民俗学」のイメージでした。
柳田国男を読む延長として、折口信夫が存在していたように思います。
たぶん、歌に縁遠い感じの方は、こっちの(民俗学)の流れが強いのでは・・
そのため「釈迢空」とあっても、私には、それが折口信夫とは、恥ずかしながら、一致しませんでした。
この名前は詩(歌)のときに使った名前です。
今回は一気に4冊が電子出版されましたのでご紹介します。今後も継続して出版される予定です。
短歌の本でありながら、関心をもったのは、例えば「海やまのあひだ」の、「この集のすえに」です。
ミーハーな視点からは当然に柳田國男や与謝野鉄幹などのビックネームと共に、その時々の生活の様子も記され、また、地震の事もわずかにあります。
全体を通じて感じたことは、丁寧な生活という印象です。詩人は丁寧な生活をしていたように感じます。
丁寧という言葉が正しいか否かわかりませんが、日々、慌ただしく生活する私のような人間は、禅などで言われる「いま、ここ」に腰を落ち着けて考える事ような丁寧な生活をしていないという感覚です。
簡単に言えば、未来と過去に捕らわれて、今を捉えきれていない事かもしれません。
あえて言えば、今、ここで語る「言葉」では表せない本当に大切な事を安直に、言葉という枠組みで「考える」ため、結局は、本来の事とは違ってきます。
例えば歌集を読んで、理解したように思っても、それは試験の解答(当然、言葉で答えを書きますから)としては、OKかもしれませんが、本当にその歌人が伝えたかった事は、言葉で表せない、味わいのような、そういったもののように思うからです。
「自在自註」は、自分の歌に自ら解説したものですが、その丁寧なところを、慌ただしい凡人に分かって欲しいと、工夫したように思えます。たとえば「あわ雪」は「淡雪」ですが、詩人は「沫雪」であるとも説明します。これはこれで、歌心に乏しい自分には、ある意味、読みやすい部分です。
今回はアマゾンのみの扱いとなります。
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海やまのあひだ 初版本電子復刻
春のことぶれ 初版本電子復刻
水の上 初版本電子復刻
自歌自註 付 海やまのあひだ・春のことぶれ