物心ついた時は、風呂はいわゆる五右衛門風呂で、夕方になると、近くの神社へ当時、家で飼っていた雑種の犬「ナーチ」と一緒に薪を拾いに行きました。椎の巨木が生い茂る神社でしたが、今はその面影はありません。秋になると椎の実を拾ってきて食べたものです。

五右衛門風呂は、言うまでもなく、湯船の底が「鉄」で、熱いのです。

風呂に入る時は先ず、風呂の底に敷く板を風呂桶に浮かべ、その上に乗っかる感じで板を沈めて、その上に乗って初めてお湯に浸かる事ができます。バランスを崩すと、足を底について、熱い思いをします。

最近では、「火の点け方」の指南書や、着火剤までありますが、火の点け方は、幼稚園に入る前には学んだように思います。

自宅には、気取ってシャワーなるものが付いていました。しかし「水」しか出ません。そのため、夏用でした。シャワーが「お湯」というのは、自分には画期的な事です。

余談ですが、自宅に風呂があるのは、いわゆる内湯は、ある意味、贅沢な話で、実際、薪がとれない時、特に冬は近所の銭湯へ行ったし、それが普通の時代でした。銭湯へ行くと、クラスメートの誰かが必ず居て、それはそれで、一種の遊技場のようなものでした。

小学校の高学年になる頃にガス風呂になりましたが、温水のシャワーは付いておらず、シャワーは相変わらず水でした。

今では、全てが自動で、湯加減は、感覚ではなく、「温度」で設定できるようになりました。

電話は、小学校の高学年になってから。それまでは、電話のある近所の家が、緊急連絡先でした。

そういえば、カラーテレビもよその家で見せて貰ったのが初めてでした。

電話をかける場合は、近くの「たばこ屋」の赤電話しかありませんでした。

いわゆる公衆電話をよく見かけるようになるのは高校の頃からです。

ところで、近所のたばこ屋。たばこ屋だから、午後6時を過ぎる事には閉まってしまい使えない事が多かった事を覚えています。今では考えられませんが、当時は子供が親の煙草を買いに行かされたものでした。

ちなみに、学校でも授業中に先生から何度も、学校の外にある煙草屋へ煙草を買いに行かされましたし、違和感さえありませんでした。授業中に、学校を公に抜ける事が出来るというささやかな楽しみだったのです。
今なら、授業中に、学校の外へ出て行って煙草を買う・・・しかも先生の命令で・・テレビ向けの格好なニュースになるかもしれない。

ちなみに、鉛筆削りは無かったから、ランドセルには、「切り出しナイフ」が入っていました。刃を折るような、カッターではありません。子供なりに気に入ったナイフで、これで鉛筆を削りました。おかげで、今でもナイフの使い方は、なんとなく分かります。これも、小学生がランドセルにナイフ入れている・・・今なら大変な問題になるかもしれません。もっとも、持っている事自体、良かった?のかもしれません。おかげでナイフの危なさは身をもって理解しております。文具屋には、小さな鉛筆削り用のカミソリも売ってました。

小学生の高学年から中学にかけて学生運動が盛んでした。テレビで見る大学生や、三島由紀夫の自決など、子供心には全くわからなかった。今では、大学へ行く人は大勢いるけれど、当時は少なかったと思います。ある意味、「裕福」な家庭の頭のよいお子様という印象でした。優秀な頭のよい大学生と、高校を卒業して、警察官になった社会人との小競り合いという感じに思え、理屈っぽく叫ぶ大学生は好きになれませんでした。もっとも、ガキですから誰かの話を自分の中に取り込んで、そう思い込んでいるのかもしれません。

高校生の頃には学生運動が終わって、完全に「しらけた」時代でした。ノンポリという部類です。進学した高校も学生運動らしいものがあったらしく、制服が無くなって、学校は3年間、私服でした。学生運動する目的が制服の廃止ですか?と、1年生の時に美術部の先輩に聞いた事がありますが、うやむやな回答だったように思います。よく言えば青春の発露といったところ。

高校時代は、渋谷と新宿が通学路になっていました。私服だったので、気楽にジャズ喫茶やロック喫茶へ入る事ができました。渋谷で安い名画座を見るのが普通でした。そういった意味では、当時の大学生的な時間の過ごし方かもしれません。当時の渋谷は、今のように、人は多くなく、スクランブル交差点も普通に歩けました。原宿も、明治神宮へ向けてゆっくり歩けたように思います。

今では、人は、何倍にも増え、街は派手になったけれど、名画座も、渋谷のスウィングや新宿のヴィレッジバンガードは・・無くなってしまいました。今は、ハロウィーンの渋谷をテレビで見るだけです。けれど、当時の記憶のおかげで、かろうじて、事務所でビルエバンスを聴く嗜みは残りました。ジャズ喫茶に行って、大きな音量の中、他の楽器に比べてピアノは心地よかったのかもしれません。

ところで、今は未成年の飲酒が問題のようですが、当時、いわゆる大学の新歓コンパは・・・私の行った大学には、伝統ある学生寮があって、大概はそこで、新入生は潰される事になっていて、これも今ならニュースになるかもしれません。記憶違いかもしれませんが、そんな滅茶苦茶に飲ませる寮で急性アルコール中毒の問題は起きなかったように思います。たぶん、これ以上はヤバイという限界を諸先輩(過去、潰された先輩方)は経験上、知っていたのだろうと思います。その加減も実は伝統だったのかもしれません。

サラリーマン時代、昭和の古きよき日本的な会社から、バブル、会社の不祥事、外資系の会社への変遷・・など、画に描いたような面白い時代を過ごました。

自営業になってからは、身近に政治家と接したり、社会活動など体験したりと、いわゆる地元での活動というものを知る事ができました。今では、八王子国際協会の相談だけになりましたが。

さて、長くなりますので、この辺りで止めにします。面白いもので、歳をとると、ガキの頃の事が輝いて見えるようになるものです。五右衛門風呂の薪拾いすら楽しいのですから。今なら、もう・・ねえ。

7ヶ月ぶりに記したら、月明かりの下で、独り言を言っている怪しい初老になってしまいました。